禅が世界へ広がる姿を紡いできましたが、
私の静けさの始まりは禅ではありませんでした。
庭づくりや所作の美学よりも前に、
心の余白がふっと芽生えた瞬間があったのです。
その後に禅を読み、
私が感じてきた静けさや気づきが
禅の教えと静かに響き合っていることに気づきました。
ここからは、
私自身の物語を静かに綴っていきます。
✦ 止まることの意味を知った日
私は長い間、走り続けていました。
美しい所作を伝える仕事はやりがいがあり、
全国から生徒さんが訪れ、
企業研修を任されるほど順調でした。
けれど、心はいつも乾いていました。
評価されても、成功しても、
満たされることはありませんでした。
もっと頑張らなくては。
もっと結果を出さなくては。
そんな思いが、静けさを覆い隠していたのです。
✦ ある朝、突然「止まった」
病気ではないのに、
ベッドから起き上がれない日がありました。
予約はびっしりで、
動けないなんて許されないはずなのに、
その日に限って、多くの生徒さんから
ありえないほどのキャンセルの連絡がきました。
「これは何かのサインなのではないか」
胸の奥で、静かな声がそう告げました。
私は涙があふれながら、
見えない大きな流れに向かって
「あっぱれ、あっぱれ」とつぶやきました。
降参のようで、解放のようで、
ふっと笑いがこみ上げました。
その瞬間、
私の人生は静かに方向を変え始めたのです。
✦ 止まった日が、静けさの入口になった
その日を境に、
私は「止まる」ということの意味を
初めて深く感じました。
走り続けることだけが正しいわけではなく、
立ち止まることにも大切な役割があるのだと
心の奥で静かに理解し始めたのです。
この“止まった日”が、
後に続く痛みの章、
心の声が戻る章、
そして庭づくりへとつながる章の
すべての始まりになりました。
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止まった日からしばらくして、
私は心の奥に潜んでいた痛みと向き合うことになります。
次の章では、
その痛みがどのように私を目覚めさせ、
静けさへ向かう道を開いていったのかを綴ります。